生活

年賀状をやめる勇気 年賀状を書くことをやめたわけ

2020年12月26日

毎年師走になると、今年はどうしようかなあと悩んでいました。

当時までは毎年末を憂鬱な気分で迎えていました。
『今年はどうしよう今年はどうしよう。ああ、やめたい』
なんで年末にこんな悩ませるイベントを作ったんだ!

そう、年賀状です。

ぼくは3年前に年賀状を出すことをやめたのですが、気持ちが本当に楽になりました。

ぼくが年賀状をやめたのは他愛もない理由ですが、年賀状って必要か?と思ってしまったからです。

言い方は悪いかもしれないけど、年賀状の送り手が相手のことを考えていない年賀状に価値があるのかってことです。

ポイント

  • LINEでもメールでも簡単に挨拶ができるのに、わざわざ年賀状で挨拶なんて必要なのか
  • 社交辞令のつまらないやり取りはいらない

年賀状で挨拶をすることが重要なんだという人もいるでしょう。それはわかる。

手紙って嬉しかったりしますよね。

ぼくだって恋文なんて書いたことがありますよ。
でもどれだけの人がしっかりした挨拶を書いているのか。

惰性でやっている人多そうじゃない?
ぼくがそうでしたけど。

海外にもクリスマスカードとかありますけど、相方曰く書いている外国人を見たことがないそうです。
もちろん書いている人はいるだろうけど、実際は日本と同じような感じじゃないのかと。

こんな年賀状がいらないからやめる

みなさんは年賀状にどのような文章を書いていますか?

昔は年賀状を楽しみにしていた時もありましたよ。

でもある時、気づいてしまったのです。
こんな年賀状いらないと。

こんな年賀状はいらない

  • 短文か文字なし
  • 子どもの写真

年賀状ってたくさん言葉を入れるものではないのかもしれないけど、もらった年賀状が短文だとつまらなくないですか?

今年もよろしくだの、今年も遊びたいねなどのテンプレを送り合って意味があるのか。
そして、『今年は○○したいね!』という、絶対にしないであろうテンプレ。
この【今年は】ってのが本当に嫌い。

こんなのLINEで十分だろ!

もうひとつが子どもの写真を強制的に送られること。

いや、3歳ぐらいまでなら可愛いからいいよ。

でも小学生になっても送ってくるのはやめてくれ。
ごめんね、そこまであなたの子どもに興味がないんだよ。

子どもの写真を見てもらいたいのもわかるけど、子どもの押しつけって本当に嫌。
うちのように子どもがいない家庭だってあるわけで。
どうリアクションをしていいのか分からないんだよね。
産まれました!ぐらいがちょうど良いと感じるのはぼくだけ??

ちょっと脱線しちゃいますけど、10代の時にスピリッツを読んでいて、喜国雅彦の『悪魔のうたたね』という4コママンガがあったのですが、年賀状の回がありました。

Aさんが年賀状に子どもの写真を載せて送って、ある時から毎年同じ写真(去年と同じもの)を送るのですが、送った相手の誰も突っ込んでこないというオチの漫画でした。
要はもらった方は、誰も子どもに興味がない(見ていない)ってことです。

当時はそんな年賀状を貰ったことがなかったので、いまいちピンと来なかったのですが、今ならわかってしまう年齢になりました。

この両方に言えることだけど、文が全くないのも残念です。
印刷した年賀状、子どもの写真だけの年賀状。
こういうのを送られたら、もうね。
なんのために年賀状なんて書いてるんだろうって虚しくなります。

わたしはそれでやめました。

年賀状のやめかた

実際にどうやって年賀状をやめたら良いのか。
これが最大の悩みではないでしょうか?

年賀状のやめかたはいくつかあると思いますが、このふたつのどちらかで良いと思います。

年賀状のやめかた

  • きっぱり出さなくする
  • 今年で最後にしますと一筆入れる

これが楽なやり方だと思います。

ぼくはきっぱりやめたのですが、相手も空気を読んでか送ってこなくなりましたね。
それでも送ってくれる人には、ラインやメールで年賀状はやめた旨をお伝えしました。

おわりに

遠くに住んでいてなかなか会えない人などには、まだまだ大切なツールかもしれません。

でも文字を書かなくなった時代になり、年賀状だけ書かなくてはいけないってことはないと思います。
動画を付けられる年賀状が売り出されたみたいですけど、ビデオ通話ができる時代なんだし、それでいいじゃんと思うのは寂しいのでしょうか。
ぼくらの下の下の下の世代にはなくなっている文化かもしれないですね。

ぼくは思うのです。
出す方ももらう方も、少しでも迷っているならやめるべきだと。

年賀状だけで途切れてしまう友情なら、その友情はそんなもんなんですよ。

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